建築界の「アンビルトの女王」ザハ・ハディド|曲線が描く未来と日本での足跡
建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞を女性で初めて受賞したザハ・ハディド。彼女の名を聞いて、多くの日本人が思い浮かべるのは、かつての新国立競技場計画を巡る騒動かもしれません。しかし、世界的な視点で見れば、彼女は「重力から解放された建築」を実現した、21世紀を代表する革命的な建築家です。
鋭い角を持たない流線型、うねるようなダイナミックなフォルム、そして圧倒的な未来感。彼女が遺した作品は、今なお世界中の都市で強烈な存在感を放っています。
この記事では、ザハ・ハディドがなぜ「アンビルト(建てられない)の女王」と呼ばれ、どのようにしてその異名を覆したのか。彼女の建築思想と、日本との複雑で深い関わりについて詳しく解説します。
1. ザハ・ハディドという人物と「アンビルトの女王」の時代
ザハ・ハディドは1950年にイラクのバグダッドで生まれ、ロンドンを拠点に活動しました。彼女のキャリアの初期は、華々しい評価とは裏腹に、苦難の連続でした。
なぜ「建てられない」と言われたのか
彼女の描くデザインは、当時の建築技術の常識をはるかに超えていました。
複雑すぎる構造: 鋭角な直線と複雑な曲線が入り混じるデザインは、構造計算が困難で、施工コストが膨大になると判断されました。
コンペでの連勝と落選: 国際的な設計競技(コンペ)で優勝しても、あまりに前衛的なため、実施段階で計画が白紙になることが繰り返されました。これが「アンビルト(未建築)の女王」という異名の由来です。
2. 革命の幕開け:技術が彼女のデザインに追いついた日
1990年代後半から、コンピュータによる構造解析(CAD)と施工技術が飛躍的に進歩しました。これにより、彼女の空想的とも言われた曲線美が、現実の建物として立ち上がり始めます。
代表的な傑作
ヴィトラ消防ステーション(ドイツ): 彼女の処女作。鋭いエッジが重なり合うデザインは、静止している建物に「動き」を与えました。
広州大劇院(中国): 川底にある2つの石をイメージした曲線的なホール。内装と外装が一体化したような流動的な空間が特徴です。
ヘイダル・アリエフ・センター(アゼルバイジャン): 地面から湧き上がり、空へと溶け込むような白い曲線。壁と屋根、床の境界線が消滅したようなデザインは、彼女の真骨頂と言えます。
3. 日本との数奇な縁:新国立競技場計画の真実
日本においてザハ・ハディドの名を決定づけたのは、2012年の新国立競技場国際デザイン・コンペでした。
圧倒的なデザインと白紙撤回
彼女の案は、2本の巨大なキールアーチが屋根を支える、宇宙船のような躍動感あふれるものでした。しかし、その後、巨額の建設費や周辺景観との調和を巡る批判が噴出。最終的に2015年、日本政府により計画は白紙撤回されました。
彼女が遺したメッセージ
計画は実現しませんでしたが、彼女が日本に突きつけた「現代建築における国立競技場のあり方」や「最先端技術への挑戦」は、日本の建築界に大きな衝撃と議論を巻き起こしました。彼女は白紙撤回からわずか1年後の2016年に急逝しましたが、その情熱は今も語り継がれています。
4. ザハ建築が私たちに与えるもの:曲線が持つ力
ザハ・ハディドの建築は、単に「奇抜」なだけではありません。そこには、人間や自然の動きを建築に取り込もうとする哲学がありました。
流動性(Fluidity): 彼女は、自然界に完璧な直線や直角が存在しないように、建築もまた風景の一部として流れるような美しさを持つべきだと考えました。
空間の民主化: 彼女の建物は、入り口が一つではなく、複数の方向から人々が自由に行き交うような構造が多く見られます。これは、境界線をなくし、多様な人々が交差する場を作りたいという願いの現れでもありました。
5. まとめ:未来を切り拓いた不屈の精神
ザハ・ハディドは、性別や出身地、そして「建てられない」という周囲の偏見を、圧倒的な才能と不屈の精神で跳ね返してきました。彼女が亡き後も、ザハ・ハディド・アーキテクツ(ZHA)は彼女の意志を継ぎ、世界中で驚異的なプロジェクトを成功させています。
もしあなたが旅先で、うねるような曲線を持つ白い巨大な建物に出会ったら、それはきっと彼女の魂が宿る作品です。重力に逆らい、未来を描こうとした彼女の視線を、その空間で感じてみてください。